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アイスの歴史と文化物語「昔ながらの懐かしい味」[高知アイスクリーム商工業協同組合]:アイスクリームの製造、販売(高知県高知市)

代表理事 近沢 秀歳

代表理事
近沢 秀歳

今回お話を伺ったのは、高知アイスクリーム商工業協同組合の代表理事 近沢秀歳さんです。
高知アイスクリーム商工業協同組合は、昭和23年8月27日に法人を成立し、その当時は20名ほどが観光地等でアイスクリンの行商販売を行なっていました。それから、今日にいたる長い間、お客様にご愛顧いただきましたこと、また高知でこのような伝統を受け継いでこられたことなどお話を伺いました。

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アイスクリンとは?!

アイスクリンとは?!

アイスクリンは、高知県では昔から夏の暑い日に食べる冷たいお菓子としてメジャーな氷菓子の一つとして有名で、アイスクリンの材料はいたってシンプルで、砂糖・たまご・脱脂粉乳・バナナ香料・乳脂肪分(3%以下)、を使用します。乳脂肪分が少ないため味はさっぱりとしていて、その食感はサクサクとしています。 味の種類は、昔はアイスクリン(白)だけでしたが、現在では『抹茶・いちご・ソーダ・チョコレート・ゆず・コーヒー・メロン・みかん・あずき』といったように、増やしています。でも、はじめての皆さまには、なんといっても昔ながらの手づくりの味、アイスクリン(白)を召し上がっていただきたいと思っています。

アイスクリンは、『アイスクリーム』とも違うし、『アイスキャンデー』や『かき氷』とも異なります。高知県の中央保険所によると、アイスクリーム類は乳脂肪分の割合で分類され、乳脂肪分が多い順に『アイスクリーム』、『アイスミルク』、『ラクトアイス』となります。そして、乳脂肪分が3.0%以下のものは『氷菓子』に分類され、アイスクリンは『かき氷』の仲間と言えます。
見た目はアイスクリームのようですが、その食感や味はそれとも違うし、かき氷とも違いますので、まだ食べた事のない方にはぜひとも食べていただきたいと思います。
また、お子様にとっても優しい味ですので、高知県下のある幼稚園などでは、毎年おやつとして、または夕涼み会などイベントの際にご利用いただいております。

1×1=1のアイスクリン

1×1=1のアイスクリン

現在ではご当地ブームという事もあって、「アイスクリン」や「いちかけるいちのアイスクリン」が珍しいと言うことで、TVや報道関係で取り上げられることがありますが、けっして新しい商品ではなく、実にその製造と販売の歴史は長く、戦前から受け継いできたものです。この名前については、昭和46年に共同販売を行うようになり、卸販売を始めた頃からのものですが、そもそもこの名前にしたのは、一度聞いたら忘れない印象に残る名前をということで、このようにつけたのだそうです。最近では、お客様の方から、全国に広がる様々なその云われを逆に聞くこともあります(笑)。

伝統となり、文化となり。

1×1=1のアイスクリン

 アイスクリンは明治2年、横浜・馬車路通り沿いの常盤町で町田房蔵氏によって販売されたのが日本で初めてでした。当時の価格は50銭でしたが、現在でいうと8,000円にも値するほどの高価な食べ物だったそうです。それから、明治初期には高知にもアイスクリンの行商が登場し、大正10年にはその職人の数は約130名ともなり同組合を設立させ、瞬く間に県内に広がりを見せたそうです。
 しかしそんな盛り上がりも、戦争という一時期は、自然消滅したような形だったそうです。しかし戦後になると徐々に砂糖や卵が出まわり、アイスクリンも徐々に復活していったのです。
 4代目理事長であった近沢正芳氏の父で3代目の理事長 午吉(うまきち)氏は、そんな戦前から戦後にかけてアイスクリンの行商で活躍しておりました。
 4代目の近沢理事長は、もともとは農業や漁業をしておりましたが、そんな午吉氏に「やってみんか?」と誘われたことがきっかけで、二十二歳の時に組合に加わったそうです。
 それから5年が経ち、組合員20名が集り、浦戸町で組合として再結成をすることになりました。それからは、高知の桂浜や高知城、五台山などの観光地に行商に出掛けては、遠足に来た学生や観光客に人気を博したのだそうです。
 時代はまだ半世紀も前のことで、当時は「うどん」が1杯10~15円でしたが、アイスクリンは1個50円で販売しておりました。またその頃は、近沢理事長が大阪から手回しのフリーザーを10台持ち帰り、電動に改良して製造販売をしていましたが、行商に行くといっても遠出は自転車。実際には金もうけにならなくなって、他県では昭和30年ごろその姿が消え、高知だけになっていったのだそうです。 そんな折、1960年代より、時代はモータリゼーションの波がやってまいりました。自動車が普及すると、車で旅行やドライブをする人に、観光地のみならず、道の脇にパラソルを開き、アイスクリンを販売する人が急増したのです。現在のように、『コンビニエンスストア』や『道の駅』などなかったため、売れ行きはとても良かったのです。そのため我々の組合では、70年には卸売りを始め、その人気は店頭でアイスクリンを売る容器「ストットッカー」の貸し出し台数が百台を上回る勢いだったそうです。

>1×1=1のアイスクリン

 理事長として私の代で5代目となります。私たちは、全国的に見てもこのように長期にわたり、アイスクリンを販売し続けてこられた事は、お客様にご愛顧いただいたためと大変ありがたく思っております。また、私たちがこのように頑張ってこられたことで、高知の夏の風物詩と言ってはおこがましいかもしれませんが、氷菓子の伝統となり、また、高知から全国に移り住んだ方や、昔にアイスクリンを食べたことのあり『なつかしい』と言ってくださる方がいることで、アイスクリンも文化となりつつあるのだと自負しております。

 私たちは、ますます皆さまに親しまれるアイスクリン、美味しいアイスクリン作りを目指して、これからも頑張っていくつもりです。

県外発送も歓迎

県外発送も歓迎

 現在では当たり前になりましたが、昭和55年頃までは、一般向けの輸送方法が充実しておらず、氷菓子であるアイスクリンを現地まで発送することは難しいことでした。時代とともに輸送会社が発達し、安心してお届けすることができるようになりました。
 高知のお店までご来店いただけない方も、県外発送を承っておりますので、お気軽にご注文くださいませ。また、ご注文に関しては、インターネットでもご注文も承っておりますので、ぜひ当ショップもご覧くださいませ。

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